音のない競技場を、笑顔と光で支える人々。滋賀県初開催・第23回日本デフ陸上競技選手権大会の舞台裏

彦根城を望む平和堂HATOスタジアム

国宝・彦根城や伊吹山の美しい景観を望むことができる平和堂HATOスタジアム(彦根総合スポーツ公園陸上競技場)。ここで9月、滋賀県初開催となる「第23回日本デフ陸上競技選手権大会」が開催されました。
デフ陸上(聴覚障害者陸上)は、音の代わりに視覚的な工夫が散りばめられた、新感覚のスポーツシーンです。今回は、選手たちが安心して100%の力を発揮できる環境を裏側でプロデュースする、滋賀の「支える」人々の情熱にスポットを当てました。

手話ができなくても大丈夫。言葉の壁を超える「伝えたい気持ち」

デフスポーツの現場と聞くと、「手話ができないと参加できないのでは?」と思われがちです。しかし、現場を支えるスタッフの答えは違いました。

デフ陸上スタッフ開田脩平さん

「僕は手話はできませんが、今は筆談やスマホを使って十分にコミュニケーションは取れます。あえてハードルを高くせず、身近なこととして関わってもらえたら」

そう語るのは、競技スタッフとして初めてこの競技場を訪れた障害者スポーツドクターの開田脩平さん。過去には、救護所で緊急処置をした選手がその後、日本記録を叩き出し、裏方としての大きなやりがいを肌で感じたと言います。

また、ボランティアスタッフとして参加した中井美佑さんと葉山かおりさんも、現場での温かい繋がりに感動したと口を揃えます。

デフ陸上スタッフ中井美佑さん_葉山かおりさん
お弁当の配布や受付、パネル並べなどを担当した二人。手話ができなくても、受付の際に選手たちが手話で「ありがとう」と笑顔で返してくれる瞬間に、言葉を超えた温かさを感じたそうです。

「手話ができなくても、みんなで楽しみたいという気持ちがあれば絶対に何かしらの役に立てるし、一緒に楽しめます!」(葉山さん:写真右)
「ボランティアは、スポーツをするというよりは、みんなで同じ気持ちになって一緒に頑張れる場所。人との繋がりを強く感じられます」(中井さん:写真左)

「目に見える情報」を乗せる、言葉のスペシャリストたち

一方で、大会の正確な進行や海外選手との交流を支える「手話通訳」の存在も欠かせません。
手話通訳の上地真美さんは、聴覚に障害のある選手が「目で見て情報を得る」プロだからこそ、技術以上に意識していることがあると言います。

デフ陸上スタッフ上地真美さん

「表情や身振りがすごく敏感に伝わるんです。だから、手話の表現だけでなく、話す人の気持ちの強さや強調したいニュアンスを、表情にしっかり乗せて伝えるようにしています」

ゴールの瞬間に上地さんが審判の言葉をスムーズに通訳した際、選手から「通訳があって本当によかった」と言われたエピソードは、まさに言葉の壁が取り払われた瞬間でした。

また、今回の大会には海外からの選手も多数参戦しました。国際手話通訳の今岡海斗さんは、現場での柔軟な対応の重要性を語ります。

デフ陸上スタッフ今岡海斗さん

「手話はわからないけれど英語なら伝わる、という選手もいるので、状況に合わせて柔軟に英語で対応しています。スポーツ全般に言えますが、その瞬間でのパパッとしたスピード感のある通訳が大事ですね」

通常の陸上との違いを「楽しむ」競技スタッフのプロ意識

競技を円滑に進行させる滋賀陸上競技協会のスタッフたちも、デフ陸上ならではのマニュアルを作り、安心安全な大会運営に奔走しています。
専務理事であり、競技スタッフの坂一郎さんは、音声による進行が主となる通常の陸上大会との違いをこう説明します。

デフ陸上スタッフ坂一郎さん

「声で『集合時間だよ』と呼ぶ代わりに、紙に書いて提示する。健常者も聴覚障害の人も、同じ舞台で同じ感覚で、走って、応援する。その本質は同じ。せっかく完成したこのHATOスタジアムの『光システム(スタートランプ)』なども有効活用し、滋賀に障害者スポーツのレガシーを作っていきたいです」

 

デフ陸上スタートランプシステム

赤→黄→緑で競技スタートを知らせるデフ陸上用スタートランプ

 

また、跳躍審判を務めた高校教員の石橋麻子さんは、選手への試技開始の合図や順番の伝達に細心の注意を払っています。手話通訳に手話を教えてもらいながら、選手とフレンドリーに関わっているそうです。

デフ陸上スタッフ石橋麻子さん

「引退してしまったけれど、かつて滋賀県の聾話学校の選手が走高跳で大活躍していました。そんな選手たちが、高校を卒業してからもずっと長くスポーツを楽しめる環境を、運営として支え続けたい。今回は滋賀の高校生補助員たちも、手話通訳さんにサインエール(手話の応援)を教えてもらって選手と交流したり、海外の選手とフレンドリーに練習したりしていて、彼らにとっても素晴らしい機会になりました」

観客席と一体になる「サインエール」が作る、これからの滋賀

滋賀県障害者スポーツ協会会長であり、ボランティアスタッフとして大会を見守った原陽一さんは、「する」「みる」「支える」の調和の重要性を説きます。

デフ陸上スタッフ原陽一さん

「スポーツを見るのも大事ですが、裏方として支え、関わっていくことも非常に大事です。世界記録が出るようなこの素晴らしい競技場で日本選手権を開催でき、世界レベルの選手たちを滋賀のみんなで応援できるのは本当にありがたい話です」

大会中、スタジアムの観客席では、一般の観客もボランティアも、全員がオレンジ色の手袋をはめ、音の代わりに両手をキラキラとひらめかせる「サインエール(手話の拍手)」を送っていました。

デフ陸上サインエール

学校の案内をきっかけに参加した高校生ボランティアの香川愛花さんも、その光景に心を打たれた一人です。

デフ陸上ボランティアスタッフ香川愛花さん

「みんなが一生懸命に応援しているのを見て、自分も頑張ろうと思えたし、これからも応援したいという気持ちになりました。ボランティアに興味がある人は、ぜひ、なんでもまず挑戦してみて、この温かさを感じてみてほしいです」

手話ができなくても、「伝えたい」「応援したい」というお互いの気持ちがあれば、壁は一瞬でなくなる。
今大会を支えたスタッフたちの眩しい笑顔は、滋賀のスポーツシーンが、誰もが自然に混ざり合える「共生社会」へ向けて、確かに大きな一歩を踏み出したことを証明していました。

(取材・文:しがスポーツナビ!編集部)

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