冬季オリンピックにモーグル日本代表として三大会連続出場!女子モーグル界を引っ張ってきた滋賀県出身の伊藤みきさん。2021年には、滋賀県初のウインタースポーツの「しがスポーツ大使」に就任しています。
あまり冬のスポーツのイメージがない滋賀でどのようにモーグルと出会い、練習に励んだのか?
トップアスリートとして活躍するなかで見つけた新たな目標とは?
伊藤さんの素顔に迫る「10問10答」からは、伊藤さんの“滋賀愛”がひしひしと伝わってきました。
ワールドカップや世界選手権でメダル獲得!モーグル女子のトップ選手・伊藤みきとは?
まずは簡単に伊藤さんのプロフィールをご紹介します。
1987年、滋賀県日野町で三姉妹の次女として誕生。スキーがきっかけで出会ったという両親の影響で、物心つくころにはスキーを始めていたそう。伊藤家がよく訪れていた奥伊吹スキー場(現グランスノー奥伊吹)にコブ斜面があったことからモーグルを始め、小学2年生ころからは2つ年上の姉と一緒に大会に出場するようになりました。
「お姉ちゃんが先に大会で優勝して、お姉ちゃんだけずるい!って感じで、姉の背中をずっと追いかけていました」と懐かしそうに話してくれた伊藤さん。その言葉通り、持ち前の負けん気の強さと、姉に勝ちたい一心でめきめきと頭角を現し、14歳でナショナルチームに選出されました。
その後、近江兄弟社高校在学中に2006年トリノオリンピックに初出場。見事、決勝にも進出し「ルーキーオブザイヤー」を受賞。
2009年の世界選手権では銀メダルに輝き表彰台へ。
中京大学進学後の2010年にもバンクーバーオリンピックに出場しました。
2013年には「ワールドカップ」初優勝、世界選手権2種目で銀メダルに輝くなど、女子モーグル界を牽引するエースへと成長。里谷多英選手、上村愛子選手らとともに、女子モーグル界を語る上で外せない選手となりました。
モーグルの採点基準である、ターン・エアー・スピードすべての総合力の高さが伊藤さんの持ち味。
2014年のソチオリンピックにも日本代表として出場しましたが、直前に右膝前十字靭帯損傷で棄権することに。
4年後の平昌オリンピックでの雪辱を目指していましたが、派遣標準記録を突破できず出場は叶いませんでした。
モーグルにどっぷりはまった三姉妹が、モーグルの魅力を子どもたちへ
輝かしい成績を残してきたトップアスリートですが、地元滋賀への恩返しの気持ちも忘れていません。
2016年からは自分たちが育ったホームゲレンデ「グランスノー奥伊吹」で、三姉妹揃って「モーグルフェスティバル」を開催するように。
「モーグルって機会がないとなかなか触れられないので、親しんでもらえる場を作りたかったんです」と話す伊藤さん。毎年多くの子どもたちがイベントを通して、スキーやモーグルの楽しさに触れています。いつかモーグル界の新星がここから誕生することになるかもしれません。
2019年に現役を引退。引退後は、スポーツ界だけにとどまらず、さまざまな分野に活動を広げながら、新たなステージへと歩みだしました。
そんな伊藤さんに、滋賀との関わりや滋賀での思い出、これから目指すことなどを聞いてみました。
素顔の伊藤みきはどんな人?“滋賀愛”あふれる「10問10答」
Q1.スキーを始めたきっかけは?
「両親がスキーが大好きだったっていうので、子どもたちもスキーさせたらみんなで一緒にスキーができるねって言って、家族揃ってスキーに出掛けたのがきっかけです。全国の色々なスキー場に行きましたが、そのなかでも奥伊吹スキー場には家族でよく行きましたね」
Q2.モーグルに魅せられた理由
「私の父がとにかくコブを滑るのが大好きで。何もないところよりも、ボコボコしてすごい楽しかったという思い出があります。コブがあるから一生懸命乗り越えるし、一種の浮遊感や障害物競走みたいな楽しさがありました。今でもスキーに行ったら、自然とコブを探してます」
Q3.滋賀のスキー場といえば?
「琵琶湖があるからだと思いますが、その湿度が積雪に変わって雪がしっかり降ってくれるという印象。寒くなったらちゃんと山に雪が降るのが、滋賀県っぽいと勝手に感じてました。自分にとってスキーを滑るということは、歩くのと同じような感覚なので。スキーが自分の足。あって当たり前の場所です」
Q4.モーグルに本気になった瞬間は?
「小学5年生のときに長野オリンピックを見て、里谷選手や上村選手に衝撃を受けて、私もオリンピックに出たい!という明確な目標ができました。ただ、姉のほうが先に公認大会に出れる年齢になるので、姉が先に優勝して。お姉ちゃんだけずるいっていう、すごく負けず嫌いな気持ちが出てきて。そこからはひたすら、お姉ちゃんに負けないようにって、ずっと姉の背中を追いかけてました。
小学校の卒業アルバムに『10年後のあなたは何をしてますか?』という欄があって。『冬季オリンピックに出ています』と書いたのですが、本当に実現できて良かったです」
Q5.滋賀を離れて気づいたこと
「中京大学に4年通った後に、長野県の北野建設スキークラブに所属して。長野県の野菜と滋賀県の野菜の種類が違うんだっていうことに気づきました。長野のスーパーでは滋賀の野菜は京野菜コーナーに並んでるんですよ。あと、あんまり全国的に知られてないけど、滋賀のお米がすごくおいしいっていうことを再確認しました。
滋賀で暮らしてるとなかなか実感しづらいのですが、離れると滋賀の食に支えられていたんだなと感じます」
Q6.現役時代も地元には帰ってきていた?
「頻繁ではないですけど、家族もいるので地元には戻っていました。日野町にいると『みきちゃんおかえり』って声掛けてもらえるので、それがすごくありがたくて。高校の通学で利用していた近江八幡駅のバス乗り場に『おかえり』って書いてあるんですけど。あれを見たときに、あ、帰る場所なんだって思ったり。ほっとできるポイントが、自分が生活してた場所にあって。そういうポイントを見つけると、とてもほっこりした気持ちになりますね」
Q7.しがスポーツ大使としてやってみたいことは?
「しがスポーツ大使には東京2020オリンピック聖火ランナーで帰ってきたときに就任させてもらいました。滋賀県は琵琶湖もあるし、山もあるし、自然も豊かだし。スポーツができる環境がたくさんあると以前から思ってたんですね。そういう意味では、しがスポーツ大使になったことで、伊藤さんと一緒にできてよかったと思ってもらえたり、子どもたちに運動する機会を与えられる活動をしていければいいなと思っています」
Q8.滋賀でモーグルイベントを始めた理由
「ソチオリンピックの後にたくさんの人に支えてもらって、スキーができてるんだと改めて実感して。モーグルってやってみたいと思っても、そういう機会がないと難しいし。そういう子たちのきっかけになれればと思って、2016年から始めました。現役中だったのでイベントを開催するのが全試合が終わるシーズン後になってしまうので。時期的には雪をかき集めなきゃいけなくて大変なんですけど。グランスノー奥伊吹さんにもサポートしてもらいながら続けてきました」
Q9.スポーツ以外の関心ごと
「現役中から環境に対してすごく危機感があったんです。15歳からスイスへ行ってますが、毎年行く中で、どんどん氷河が小さくなって、自分たちの滑る場所もどんどん減ってる。このままだったらスキー競技もなくなるし、スキーどころか日々の生活にも災害が増えてくる…。このままではいけない、何かしたいっていう思いがずっとありました。
もともと滋賀の人って、琵琶湖のために意識せずにやっている活動があったりしますよね。それを再認識した中で、新しいことに取り組むきっかけに私がなれればいいなと思って、滋賀県の『マザーレイクゴールズ広報大使』としての活動も始めました。ただ、環境をよくすると言っても、まずは自分が健康でいることが基本なので、今年は『MLGs体操』作りを通じて皆さんと取り組んでいきたいなと思っています」
Q10.最後にメッセージをお願いします!
「滋賀県は自分が生まれ育った場所ですし、オリンピックを通じてたくさんの人に支えてもらったので、自分自身ができる活動で恩返ししていきたいと強く思っています。みんなが少しでも勇気づけられたり、元気になれるような活動をこれからも持続的にしていきたいですね」
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伊藤さんの10問10答は、しがスポーツ大使のメッセージ動画からもご覧いただけます。