#022 競い合うより“リスペクト”。日本のトップスケーター手塚まみの原点は、滋賀・長浜で始めたスケートボードに

「スケボーは生きるうえで必要ですね」と笑う手塚まみさんは、滋賀県彦根市出身の19歳。スケートボードを始めたのは5歳。現在では日本のトップスケーターに成長し、今年4月に日本で初めて開催される世界最大のアクションスポーツ国際競技会「X Games(エックスゲームズ)」にも出場します。
これからますます活躍が期待される手塚まみさんに、スケートボードの魅力についてお話を聞きました!

スケートボードは、ストリート・カルチャーの中心的存在

アメリカ西海岸で生まれたスケートボードは、グラフィックや音楽、ファッションと紐づいたストリート・カルチャー。1990年頃から日本でもブームとなり、若者を中心に根強い人気を集めています。東京2020オリンピックで初めて正式種目に採用され、更なる競技人口の広がりが期待されています。

手塚まみさんは女子スケートボード界を牽引するトップスケーターのひとり。5歳の時、両親の影響でスケートボードを始めました。地元、長浜市のスケートボードパークへ通い、そこに集まる人たちの影響から、本場のスケートボードに憧れ、海外への興味を持ち続けていたと話します。

「受験勉強を頑張ったご褒美と誕生日プレゼントで、アメリカ行きの航空券が欲しいと両親に頼んだんです」と手塚さん。そのチケットを握りしめ、高校入学前の春休みに単身で2週間渡米しました。
滞在中にたまたま開催されていた女子のスケートボード大会を見つけ、「お祭りみたいで楽しそう!」と好奇心から出場すると、まさかの2位に!

「ひとりでアメリカに行って、ひとりで大会に出たら2位になって。有名なスケーターも出場している大会だったので、ちょっと注目されてしまいました」。
この経験が手塚さんの人生をガラリと変えることになります。

気軽な気持ちで参加したものの、実はその大会は「Exposure(エクスポージャー)」と呼ばれる世界最大の女子限定のスケートボードコンテスト。手塚さんのオリジナリティーあふれる滑りやスタイルが本場のスケートボード関係者の目にとまり、これを機にアメリカ西海岸で時の人となりました。その後、高校3年生で出場した2019年の世界大会「バンズパークシリーズチャンピオンシップス」で3位。2021年には世界最大のアクションスポーツ国際競技会「X Games」で2位に輝くなど、その活躍はとどまることを知りません。

競い合うより“リスペクト”すること

そんな手塚さんの原点は、5歳から通うようになったというスケートボードパーク「ハックルベリー」にありました。まだスケートボードが浸透していなかった1999年に、長浜市にオープンしたパークスタイルに特化した施設で、“スケボーの聖地”として県内はもとより全国からスケーターが訪れていました。

手塚さんにとって、そこは“お手本にしたい滑り方”の宝庫。「一緒に滑っていたのが高校生や大学生のお兄さんやおじさんばかり。良いお手本がいつも身近にある環境だったことは、本当にラッキーでした」と振り返ります。

また「小さい頃に見てきたものが、今の自分につながっている」と話す手塚さんの原点には、地元のスケードボードパークで培った“リスペクトの文化”が根付いています。
ハックルベリー代表の吉田勝典さんもこう話します。「レベルも、滑り方も違うけれど、みんな同じ場所で順番に滑りながら、それぞれのスタイルを称え合う。できる、できないではなく“チャレンジすること”を褒め合いながら、切磋琢磨していくんですね。ここでは、競い合うことではなく、リスペクトすることをずっと大切にしていました」。

音楽を奏でるように滑る

スケートボードの競技には、街中のようなコースを滑る「ストリート」と、傾斜や起伏のあるコースを滑る「パーク」の2種類があります。手塚さんが得意とするのは「パーク」です。

「競技の直前にパークの設計図を確認しながら、どこをどう滑るのか自分で考えます。見ている人が楽しくなるような滑り方、技の見せ場をどこで作るかも全部細かく考えます」。選手によってはコーチやマネージャーが、コースや技を指導する場合もありますが、手塚さんは「私は私なんで。私の思うようにやりたい」と、あくまで自分らしい表現にこだわる職人タイプの選手。

「この場所で、そのトリックをするの?!と驚かれることもけっこうありますよ」と、天真爛漫な笑顔を見せる手塚さん。身長150cmと小柄な体格ながらも、その表現力の豊かさと大胆な滑りは見る人を圧倒する迫力です。
スケボーと音楽は切り離せないという手塚さんは、自身もピアノを演奏するなど多才。「滑りをみていると人間性が表れてて面白いですよ。大胆な滑りをする人はパンクで、次にどんなトリックを出すのか読めない人は即興でセッションを楽しむジャズに似ている」とスケードボード競技を見て楽しむ、独自の視点も教えてくれました。

世界と地元を軽々と行き来する

遊びで始めたスケートボードが、手塚さんを思いも寄らない未来へと導いてくれました。「センター試験を受けなかったのは私ぐらい」と話す手塚さんの高校は、地元では有名な進学校。しかし、卒業後はスケートボードを人生の中心にすえて進路を選択。トレーニング拠点として渡米を選びました。「英語はペラペラじゃないけど、スケボーが共通言語。年齢とか性別、国籍も関係なく、色んな人と通じ合えるし友達になれる」。それがスケボーの魅力だと話してくれました。

(写真提供:Courtesy of VANS)

「VANS (バンズ) 」や「モンスターエナジー」のライダーとしても活躍中。東京2020オリンピックで活躍した四十住(よそずみ)さくら選手や関(ひらき)心那選手らとも肩を並べ、日本のトップスケーターとして注目されながらも「私はいたって普通で素朴な人間ですよ」とどこか達観した雰囲気さえ漂わせている手塚さん。

「いつかは出身地の彦根市にスケートボードパークやショップが作れたら素敵かなって思っています」と、心のベースには自分のホームへの想いがありました。世界と地元を軽々と行き来しながら進化していく手塚さんの挑戦はまだ始まったばかり。
その小さな身体で大きなフィールドへと飛び出す姿を、ぜひ地元滋賀から見守っていきたいものです。

しがスポーツナビ!YouTubeチャンネル

スケボーの競技紹介動画で手塚さんの練習風景もご覧いただけます。

しがスポーツSTORY一覧へ