#005 棒高跳び・我孫子智美選手 目標を失いかけていた私に、子どもたちが走りだす力を与えてくれました

目標を失いかけていた私に、 子どもたちが走りだす力を与えてくれました

子どもたちが走りだす力を与えてくれました滋賀のさまざまなスポーツシーンを紹介する「しがスポーツSTORY」。

第五回目は、女子棒高跳び日本記録保持者で2012年ロンドンオリンピックにも出場し、現在「しがスポーツ大使」も務める我孫子智美選手(滋賀レイクスターズ所属)にお話を伺いました。

2016年に2度目のオリンピック出場を目指したものの、怪我に悩まされ無念な結果に…。

目標を失い、何もやる気がおきなかった我孫子選手を救ったのは、純粋に走ることを楽しむ子どもたちの姿でした。

滋賀が生んだトップアスリート

訪れたのは皇子山陸上競技場。

現在、我孫子選手は週2回、滋賀レイクスターズが運営する陸上スクールのメインコーチとして子どもたちに走る楽しさを伝えています。

高校生のときに陸上部顧問に才能を見出され、棒高跳びを始めた我孫子選手。

同志社大学進学後は日本インカレ4連覇、日本選手権3連覇、アジア大会銀メダルなど、数々の金字塔を打ち立てた湖国が誇るトップアスリートです。

2012年の日本選手権では棒高跳び女子日本記録となる4m40cmを跳び、ロンドンオリンピックにも出場しました。

夢がついえた瞬間…

2012年のロンドンから2016年のリオまで、我孫子選手にとっては二大会連続出場という重いプレッシャーと、怪我に悩まされ続けながら練習を重ねてきた4年間でした。

その集大成でもあり、リオオリンピック出場に王手をかけた日本選手権直前の試合で、我孫子選手の脇腹に激痛が走ったそうです。怪我の再発でした。

「しばらく皮膚の感覚がなく、酸素カプセルで回復を促したけど、3週間は寝返りするのも痛くて…。」結局、日本選手権までに怪我は完治せず、あと一歩のところでリオへの道は閉ざされてしまいました。

「大会終了後は、なにもやる気がおきず、競技を続けていくのかさえ迷いました。」

そんな抜け殻状態だった我孫子選手に、会社から新たに開校する陸上スクールの運営及びメインコーチを担当するようにと指示が。

「4月開校予定だった陸上スクールを12月に始めるからって。開校までわずか2ヶ月!それまでは競技一筋だったので、そこから指導者講習を受け、会場の調整に生徒集め…怒涛の日々でした。慌ただしさでゆっくり落ち込む暇もなかったですね(笑)」スクールが開校して、子どもたちと一緒に体を動かすうちに我孫子選手の気持ちに変化がありました。

「そういえば私って子どもの頃から体動かすのが好きだったなと思い出して。『ただ、楽しむ』その原点に戻れました。」

子どもたちの目標になりたい!

ある日、スクールの子どもたちに我孫子選手が手にしてきたメダルを見せる機会がありました。

「みんながすごくキラキラした目で見てくれて!」アジア大会の銅メダル、銀メダル、日本選手権の金メダルなど、色も形も違うメダルを眩しそうに見つめる子どもたち。その様子を見て、我孫子選手にスイッチが入りました。

「まだ私にはもっといろんなメダルを子どもたちに見せてあげることができるんじゃないか。みんなの目標になりたい!」。そう考え、現役続行を決意。

子どもたちの純粋な反応が、我孫子選手の背中を押したのです。

現在、陸上スクールがない日は、仕事を早めに切り上げ、母校である光泉高校のグランドで学生たちと一緒に練習に励んでいます。

「小学生と一緒に楽しむようになって肩の力が抜けたというか。母校で恩師と一緒に練習できるのもリラックスできる要因になっているのかも」。

我孫子選手の存在は、高校生たちにもいい刺激を与えていることでしょう。

陸上スクールのおかげで今がある

我孫子選手が陸上を始めたきっかけも小学生のときに通っていた陸上スクールでした。

「学校のマラソン大会で活躍できたことが自信につながっていましたね。子どもたちにも成功体験をたくさんさせてあげて、自分に自信を持ってほしいと思っています。走ることはそのひとつ。スクールをきっかけに自分の得意なことを見つけてほしい」。

この夏は定期的な陸上スクール以外に、大津や守山など各地で陸上クリニックも開催。

「陸上経験者よりも、やっていない子の方が多く参加してくれました。走ることはどのスポーツにも共通するので、気軽に来てほしいです」。

参加した子どもたちにとっても、世界に通用するトップアスリートと身近で触れ合えるのは貴重な機会。棒高跳びに使うポールが披露される場面では、興味津々の子どもたちでした。

ちなみに、棒高跳びで使う4m超えの長いポール。会場まで運ぶのにひと手間かかるそうで「専用のケースに入れ、スキーの板などと同じように車の上にのせて移動するんですよ」と教えてくれました。

競技者と指導者の二足のわらじ

「いつまで選手が続けられるかわからないけど、やりきったと自分で言い切れるところまでは頑張りたいです。スクールの中からオリンピックを狙う選手が育ってくれればすごく嬉しいですね」新たな道を見つけた2017年。

織田記念陸上での優勝を皮切りに、日本陸上で5年ぶりの優勝、関西実業団陸上でも優勝と続々と好成績を残しています。

爽やかな笑顔の裏側にあった苦悩や葛藤。

それを乗り越えた我孫子選手だからこそ子どもたちに伝えられるものがあると感じました。

■しがスポーツナビ! YouTubeチャンネル

もっと我孫子選手を知りたいかたは「しがスポーツ大使」の動画をぜひチェックしてみてくださいね!とても爽やかな我孫子選手の素顔が見られますよ。

【しがスポーツ大使】棒高跳び選手「我孫子智美 10問10答」
(YouTubeへ外部リンク)

しがスポーツSTORY一覧へ